突然ですが、今回はわたしの嫌いなものの話をしようと思います。他人の憎悪を垣間見るというのは、そう愉快な体験ではありません。誤って読んでしまわないよう、お気を付けください。
さて、わたしが嫌いなものは「キュートアグレッションを掲げて他人に害意を表する人間」です。キュートアグレッションそのものを嫌っているわけではありません。あくまで、それを理由にすることで、自身の加害行動を正当化しようとする人間が嫌いなのです。
キュートアグレッションとは
そもそもキュートアグレッションとは何かというのを確認しましょう。インターネット上のいくつかの情報を参考にしたところ、「子供や動物などのかわいいものを見た時に引き起こされる攻撃的な衝動や行動」を指す言葉のようです。昨今のSNS等では、やや意味が広く捉えられ「かわいいものを虐めたくなる趣味・性癖」のようなニュアンスで使われることが多いように感じています。
かわいいと認識した相手に対して、意地悪をしてみたくなったり、つついたりつねったりしてみたくなるというものだそうです。当然ながら、度が過ぎたり、相手が嫌がっているのに執拗に繰り返したりすれば、それは身体的・精神的な暴力と呼ぶべきものになります。
昔やったエロゲ(記憶が定かでないですが、たぶん『すくみず 〜フェチ☆になるもんっ!〜』)のなかでも「美しいと思う対象を歪めたり汚したりすることに悦びを見出す人もいるんだよ」というようなことを大人が言っている場面があったような気がします。当時は、俗語としてのキュートアグレッションという名前がついていませんでしたが、そういった欲求は人々のなかに昔からあったのでしょう。
かわいいと感じるものを痛めつけたくなるということで、字面だけなら「可愛さ余って憎さ百倍」ということわざと混同するかもしれません。意味合いが全く違うので、誤用なきよう注意しましょう。あちらを現代の俗語で言うのなら、「反転アンチ」が近いものになると思います。
個人的には苦手
わたし自身の行動にも、キュートアグレッションなのだろうものはあります。「かわいいものに意地悪したくなる」という気持ちなら、妻に対してよく抱く感情は、たぶんそれに近いものだと思います。かわいさが筆舌に尽くしがたくなり、ハグをするとか。
ただ、創作物においてキュートアグレッションと呼ばれるようなシーン等は苦手です。
わたしの趣味の範囲かつ比較的最近のもので例を挙げるのなら、アニメ「PUI PUI モルカー」第2話 銀行強盗をつかまえろ! は見ていて胸が締め付けられるようでした。ドライバーからおやつの野菜をもらって嬉しそうに食べていたモルカー シロモが、銀行強盗に銃をつきつけられ、カージャックされ、悪事を働かされる……。なんの罪もないシロモが、幸せな日常から急にひどい目にあわされてあああああああああああああああああああああああああああああああああああ
失礼、取り乱しました。とにかく、これを見て「いじめられている姿がかわいい」と思う人がいるのはわかった上で、わたし個人は思い出して取り乱すぐらいには悲しい気持ちになりました。
また、特撮ドラマ「仮面ライダーガヴ」第22話 真実は甘く苦い でのワンシーンも、思い出す度にギュっとなります。主人公であるガヴが放った眷属 ゴチゾウが、交戦相手であるビターガヴに捕まえられ、攻撃の為に吸収されるシーンです。泣きながら敵の武器に吸収されるゴチゾウを見てあああああああああああああああああああああああああああああああああああ
度々失礼。まあ、そんな感じです。
ただ、俗語としてのキュートアグレッションに分類される描写に需要があるのはわかっています。

↑のように、強盗の手先にされたシロモや泣き顔のゴチゾウが商品化されているわけで、それはつまり、企業が一定の需要を見込んでいるということです。実際に、モルカーやゴチゾウに対して、「いじめたい」という旨の発言をしている人をインターネット上で見かけたこともあります。
かわいいものをいじめたいという欲求について、否定するつもりはありません。
実在の人格に向けるようなものではない
ただ、キュートアグレッションをどのように発露させるかという点については、各自気を付けるべきものだと思っています。苦手意識を持っているわたしが多数派か少数派かというのはわかりませんが、そのどちらであっても、一般化して言うことのできることがあります。どのような言葉で誤魔化したとしても、相手への加害に類するものであることを忘れてはいけないということです。
キュートアグレッション、かわいいからいじめたくなる、愛情表現のひとつ……言い方を取り繕ったところで、相手へ攻撃的な言行が向いていることに変わりはありません。極端な表現ですが、「愛しているから殴る」というのはどのような言い換えをしたところで、ドメスティックバイオレンス以外の何ものでもありません。
この加害性を、自分のなかで消化できるうちはよいのです。なんなら、そういった趣向の作品を書いたり描いたりするのなら、攻撃的な衝動が芸術に昇華されるわけで、社会的な利得であるとすら言えます。
しかし、自分の裡から漏れ出た欲求を、他者……特に実在の人格に対して表明するというのはよくありません。
昨年、某大手Vライバー事務所からデビューした白い猛獣の配信者がいます。あの愛くるしい猛獣の配信中、「かわいさ故に虐げたい(意訳)」というコメントが流れていました。なんとも、おぞましい限りです。
Vライバーはアニメ・マンガ調のキャラクターの姿をしていますが、その中身には実在の人格が宿っています。その「人」に対して、「自分はあなたを攻撃したいです。なぜなら、あなたがかわいいからです」と直接伝えるのが、どれだけ邪悪なことか。
相手の立場に立ってみて、知らない人から急に「かわいいからいじめたい」などと攻撃性を向けられたら、どれだけ怖いかということが想像できなかったのでしょうか。
繰り返しになりますが、どのような言葉で取り繕ったところで、実態は、相手への攻撃的な言行であるのです。「キュートアグレッション」という言葉は、加害の免罪符になるものではありません。
おわりに
まとめますと、わたし個人がキュートアグレッション(俗語)的な描写に苦手意識を持っているということと、それとは関係なく、「キュートアグレッション」という言葉を使ったところで、加害を許されるものではないということを言いたかったのです。
まあ、後半の話については、わたしがこうして表現せずとも、だいたいの方が弁えている話だと思います。
なんとなくインターネット上で使われてしまっている「キュートアグレッション」という言葉ですが、その言葉の軽さに、攻撃的な欲求が介在していることを忘れてはなりません。
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