わたしの文章に金銭的価値はあるのか?

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 自尊感情の回復の為に、書き物でリベンジをしようと決めたのはよいのですが、準備のひとつとして、現状把握を行っておくべきでしょう。そもそもわたしの書く文章に金銭的価値があるのかという点について、自覚しておきたいです。

 結論から言えば、現状でも、わたしの書いた文章に金銭のやり取り発生していると言えないことはないのです。

 仕事で役所へ申請を行う際に、一部、有資格者の証明をつけないと受理されない書類があります。事業所内でこの資格を持っているのは、わたしだけなので、「わたしの名前で書く文章」であることに意味が見出されるわけです。そして、それは売り上げにつながるものでして、その売り上げからお給料が支払われていることを思えば、わたしの書いたものに金銭的価値が発生していると言えなくもないです。



 言えなくもない……とはいえ、まあ、実際のところはわたしの書いた文章に金銭的価値はないのだと、結論を覆しましょう。



 求められているのは「わたしが書いた文章」ではなく、「有資格者としてのわたしの名義」なのです。
 倫理的な是非はさておき、わたしが書いたという名目で別の人間が書いたとしても、役所は問題なく申請を受理するでしょう。資格の有無は問われますが、書かれた文章に巧拙は問われません。なので、必要なのは「わたし」でなく、「わたしの名義」なのです。

 当然ですが、わたしは作家でもなければ記者でもありません。書くことにこだわりがあるくせに、それを仕事に出来ていません。下手の横好きというやつです。このブログを趣味で運営していますが、4年続けていて、現金化できた収益は0円です。

 わたしの書いた文章を読んで、そこにお金を払ってもよいだろうと思ってくれる人など、これまでにひとりもいはしないのです。書いた文章を「面白い」と褒められて、職業物書きの道を示されるということなど、夢のまた夢です。



 詭弁が許されるのなら、時間を割いて読んでくれる人の存在を指して、金銭的価値と呼ぶことはできるかもしれません。時は金なりです。わたしのブログを読む時間で、その人が生み出せたはずの金額を使ってくれていると見ることもできます。時給1,200円で働く人が、ブログを10分読んでくれたのなら、その人の200円分の時間を頂いたことになります。そう考えるのなら、金銭的に、まったくの無価値ということではないのかもしれません。
 これはあくまで、こじつけです。時間を割いてくれる人がいてくれるだけでは、わたし自身を「物書き」と呼ぶには足りません。



 現状は、金銭的な価値のないものしか書けていないことを自覚します。
 お金を払いたくなる文章とは、どのようなものでしょうか。タメになる知識、面白い創作、共感できる雑談などでしょうか。あるいは、書き手そのものにファンがつくのなら、そこにもお金のやりとりは発生するかもしれません。
 
 わたしの書くものは、タメにならず、面白くなく、共感もできない……いわんや「典藻キロク」にファンはいません。金銭を得る為に、琴線に触れるようなものを書かなければなりません。……真面目な話をしているのに、こうしてダジャレをまじえてしまうようでは、道のりは中々に遠く険しそうです。




 

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