友達というものが少ない(またはいない)というのが、わたしと妻の共通点のひとつです。
対外的に関わる相手が少ないということは、話題つくりの為に流行の作品などを知るということが要求されません。
鬼滅を知らずとも困りませんし、トップガンを観ていなくてもどうということはありません。そもそも、何が流行っているのかということを知らなくても大丈夫です。
そういった具合ですので、流行云々ではなく、純粋に好みや興味でコンテンツを選んで触れることが多いです。「流行っているから」ではなく「気になるから」「好きそうだから」で選びます。
或いは、なにか時機がよければ、周回遅れで流行に触れてみることもあります。しかし、あくまで少し触れる程度です。鬼滅の刃は無限列車編だけ(いつだったかテレビでやっていたので)しか観ていませんし、呪術廻戦は0しか(妻の好きな声優が主役だったので)観ていません。
世間的に流行っているタイミングで視聴したり、体験したりするのは非常に稀なことと思います。
大枠での方向性が一致しているとはいえ、それはそれとして、夫婦は別々の人間です。各々興味の向くジャンルに違いはあります。わたしは知らずとも妻が知っている流行り物もありますし、逆もまた然りです。
妻は歌が好きなように見えます。
仕事中にラジオを聞くことも多いそうで、流行の歌についてはよく知っているようです。
わたしは流行の歌はさっぱりでして、「はいよろこんで」という流行っている? 流行っていた? 歌も聴いたことがありません。
はいよろこんでというフレーズを聞けば、「ポルカ・オ・ドルカ」を連想します。何年前の曲だ。
たまに流行が気になって触れてみれば、運のないことに心的ダメージを負ったりします。先だっては「テトリス」なる曲を聴いて、2日間、調子を崩していました。聴いたら死ぬ曲と言われている「暗い日曜日」以上に、ひとによっては希死念慮を増幅させる=聴いたら死ぬ曲なのではないでしょうか。捉え方によってポジティブにもネガティブにもなるでしょうが、それだけ人間の感情を揺さぶるのですから、すごい楽曲であるというのは確かです。
妻が流行りの歌を知る一方で、わたしが流行りに敏感になるジャンルは思い当たりません。
繰り返しになりますが、これで会話に困ることもありません。そういった会話をする相手がいませんから。
流行に飛びつかないというのも、なかなかよいことです。
好きになる要素が「流行っているから」「人気があるから」という点ならば、その流行が廃れれば、好きではなくなるかもしれません。しかし、「○○なところが好きだから」でコンテンツやキャラクターを好むのならば、流行り廃りに好みは左右されません。
流行について話す間柄の知人友人がいないことに寂しさを感じていたりはしません。ええ、本当に。
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