反省すべき2024年
大晦日です。この記事を書き始めた時点で、今年も残すところあと6時間ほどになっています。
やり残したことは山ほどあります。書きたいものや描きたいものもそうですが、年内に決着のつかなかった仕事でのトラブルが年始早々に待っていると思うと既に憂鬱です。
それはそれとして、年末であるのですからそれらしく、今年の振り返りなどもしておりました。
ええ、今年は全体で見て「よくない」年となってしまいました。わたしにとって、ということではありません。関わった方にご迷惑やご不快な思いをさせてしまったという点で、です。
年内最後の記事であり、または反省文として提出をさせて頂きます。
ブログの反省
↑の通り、月ごとにばらつきはありますが、例年に比べて高頻度でのブログ更新になりました。
今年の3月に当ブログを開設しておよそ3年にして初めてのコメントを頂きまして、誰かに読んでもらえることの喜びを感じて以降、モチベーションが上がっていました。
また、7月あたまに想定外のダメージを受けてインターネットデトックスをして以降、基本的にネガティブ思考になっていることもあり、ささいなことが気になって記事の題材を多く見つけるようになったことも更新頻度を高くできた一因です。
加えて、12月の記事から冒頭のあいさつと導入文を廃止してライト版での記事作成をしていますので、導入文が思いつかなくて記事が書けないという問題が解消されています。
しかし、精力的に更新していたのがよくありませんでした。ありていに言えば、調子に乗ってしまったということです。
誰かに読んでもらえるという実感を得られた反面、わたしの書いたもので不快な思いをさせてしまった方々がいます。
これを受けて、記事の5本を非公開にしました。明確に不快感を示されたものは即日対応しましたが、ほかのものはご指摘を頂いたわけでもなく、わたしが空気を読んで、或いは人の振り見て我が振り直すつもりで非公開にしたものです。なので、同様の属性のものが公開状態で残っている可能性もあります。これらは気づき次第、順次非公開にできればと思います。
嫌な気持ちにさせたまま、長らく我慢をさせてしまっていたことを申し訳なく思います。
Youtubeの好調
わたし自身を含めて、誰も認識していないかとは思いますが、「典藻キロク」の本分はYoutube活動でした。
いつしか生存報告を兼ねたブログの更新に重きを置くようになっていたので、もはや本分と呼べるのかは怪しいのですけれども。
そんなYoutubeですが、ここのところ、およそ2か月毎日更新をしていた甲斐あってか、本日時点でチャンネル登録者が55人となりました。これまで生きてきて、55人もの方に支持・評価されたことなど一度もありませんでしたので、とても嬉しく思います。
毎日更新の内容ですが、編集や台本を「がんばる」ことに意義が無いと分かったため、言ってしまえば「手抜き」のショート動画を投稿するようにしています。一抹の虚しさを感じないこともないですが、今後の活動の土台作りという意味でも、支持してくれる人を増やす為には必要なことです。
こちらは特段ネガティブなことも起きず、2024年のわたしの活動としてはポジティブに評価してよいかと思います。
推し活の咎
今年の活動の中で一番よくなかったのが、推し活ですね。気を付けたつもりで、できることを頑張ったつもりではありましたが、「つもり」には何の価値もありません。結果がすべてです。
非実在のキャラクターを好く事と、その向こうに生きている人間がいる存在を好く事は大いに異なります。わかっているつもりでしたが、これもやはり「つもり」でしかありません。
先に触れました今年非公開にした記事というのも、これに関連して相手に嫌な思いをさせてしまったというものになります。
リップサービス、営業トーク、気遣い、愛想笑い……呼び方はいろいろとありますでしょうが、つまるところは「やさしい嘘」。そういったやさしい嘘を相手につかせてしまうという形で、わたしはまた加害者の立場に立ってしまいました。リップサービスとわかっていたつもりで、どこかで真に受けて調子に乗っていたから、気づくのが遅れて罪を重ねる形になってしまいました。
他人事について余計な心配をして、何の意味も無いのにあれこれ考えて、案の定なにもできないという奇行愚行もよろしくなかったです。そういったことは、実際にその人の人生に関わる方に任せておけばよいのです。
終身不名誉ストーカーの前科のある身ですので、距離感や振る舞いに気を付けていたつもりでした。しかし、結果はこの通りです。他者を好く事に適性がないというのが、身に沁みてわかりました。
終身不名誉~ と同じく、語感の良い蔑称を自称して、今回のことを忘れないようにしていきたいと思います。永世天然ハラスメンターなど如何でしょうか。蔑称は言いやすければ言いやすいほどよいです。繰り返し自身に言い聞かせることで自戒ができますからね。
他者を好く事以外にも、誰かを応援するということも適性外であったように思います。
己の欲せざるところ人に施すことなかれ、と申します。であれば、応援をするというのならば、己の欲するところを人に施すのがよいかと考えます。しかし、わたしは「がんばった」ことがないのです。がんばったことがないのだから、がんばっている人の気持ちに立って「己の欲するところ」を想像することもできません。
がんばっている誰かを応援する資格がそもそも無いと言い換えてもよいでしょう。
この悔恨を今年に置いていき、来年は改善したいところです。であれば、どうするか。
古来より伝わるインターネットことわざとでも言うべきものに「※ただしイケメンに限る」というものがあります。
これを拡大解釈すれば、何かを行うには適した人物であるという大前提が存在し、不適な者が関わることは自他共に悲しい思いをするだけであるということになりましょう。「適材適所」にやや強めの訓戒を込めたような意味合いです。
「イケメン」というのは言葉通りの「眉目秀麗」を指すものでなく、適した行動を正しいタイミングでとれるというスマートさを表すものとも言えます。「心がイケメン」ということです。
先人たちから伝わるこの適材適所の訓戒を踏まえるのなら、わたしにとっての適所がここではないことは確かです。
おそらく「なにもしない」が現状はもっとも正解に近いものとは思います。関わらなければ相手が嫌な思いをすることもなく、わたしも何かにつけて気を揉むようなこともありません。
しかし、これまで「正しいだろう」「大丈夫だろう」と判断してきた選択が誤りであった以上、自身を疑ってかかるべきです。判断はいったん保留として、なにかを改善するということだけ決めて新年を迎えたいと思います。
さしあたっては、わたしが気に入っているというだけで使用してた変な呼称は今後使わないようにしますので、その点では両名のストレッサーの部分的解消になればと思います。
今年もありがとうございました
わたしの把握する限りでこのブログを継続的・定期的に読んでくださっているのは、およそ今年に入ってからの関わりになる方々ですので、「今年もありがとうございました」というのはやや正確さにかける表現ですが、今年もありがとうございました。
来年こそは、インターネット上での活動の何事においても適切な振る舞いをとれるよう、より一層注意していきたいと思います。
嫌でなければ、また当ブログの記事を読みに来てくださると、とても嬉しく思います。
新年もまたよろしくお願いいたします。
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